心の中に潜む怪物。映画「ジョーカー」ネタバレ感想

こんにちは、Novtakaです。

映画「ジョーカー」ネタバレありの感想です!

この記事から
☑映画のあらすじ
☑観た人の率直な感想

が知れます!記事は3分ほどで読めます。

あらすじ/概要

「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。これまでジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトが演じてきたジョーカーを、「ザ・マスター」のホアキン・フェニックスが新たに演じ、名優ロバート・デ・ニーロが共演。「ハングオーバー!」シリーズなどコメディ作品で手腕を発揮してきたトッド・フィリップスがメガホンをとった。第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、DCコミックスの映画化作品としては史上初めて、最高賞の金獅子賞を受賞した。

出典元: https://eiga.com/movie/90681/

原題:Joker
制作国:アメリカ
制作年度:2019年
上映時間:122分
監督:トッド・フィリップス
出演:
ホアキン・フェニックス(アーサー・フレック)
ロバート・デニーロ(マレー・フランクリン)
ザジー・ビーツ(ソフィー・デュモンド)
フランセス・コンロイ(ペニー・フレック)

感想

個人的面白さ:9/10

あなた自身が「ジョーカー」である

あらゆる面で、とても圧倒された作品です!



映画館とレンタルで2回鑑賞しましたが、本作の衝撃は色あせず、普遍的な部分があると感じました。


「ダークナイト」3部作シリーズも個人的に大好きですが、


今作でホアキン・フェニックス版のジョーカーも、全く違う魅力がありました。



この作品は、主人公アーサーがピエロのメイクをして、客引きをするシーンから始まります。



そこで町の不良に襲われ、最終的には路地裏で袋叩きにされてしまいます。


ここでタイトル「JOKER」が映し出されるというイントロですが、ここまでで見ている人によっては状況を察し、


そして物語が進むごとに、主人公と自分を重ね合わせる部分が出てくると思います。


アーサーは貧困であり親に恵まれず、そして障害を持っており、特に格差の激しい街に住んでいます。



その上でコメディアンになる夢に向かって行動するも、周囲からは痛い目で見られ、「笑わせる」ことより「笑われる」ことの方が多くなっていく。



それでも当の本人は「自分がこんなもんじゃないはずだ」「もっと称賛をうけるべきだ」そんな思いだけが強まり、さらに道を踏み外していく。


映画を見ている人は、途中で気づきます。


「アーサーのこの部分、共感できるかも・・」



この映画の怖いところは、ここまでのサイコパス加減なのに、


どこかしらのポイントで自分と近しい部分を、見ている側が感じてしまう部分にあると思います。

ジョーカーの表情

ホアキン・フェニックス演じるジョーカーの、表情の移ろいや、一挙手一投足がなんとも絶妙に観客に訴えかけてきます。


もちろん表情から全ての感情が分かるわけでは無いですが、まさに心に訴えかけてくるようなものです。


彼の「笑い顔」は、必ず「楽しくて笑う」以外の感情が見え隠れしています。


トイレでのダンスシーンは、人を殺めたことで自分の中の何かが解放されたことに舞い上がっているさまを、言葉を使わずに表現しています。


直接的な言葉無く、表情や行動で表現をするホアキン・フェニックスの底知れなさを思い知りました。

心の中にいる怪物。

ジョーカーの存在は「彼自身の問題ではない、社会が生み出したモンスターだ」という意見があるかもしれません。



ですが私としては、アーサーは「ジョーカーになるべくして、ジョーカーになった」存在だと考えます。


仮に社会がそうさせたというならば、似た経験をした人たちがみな同じようになっていないと辻褄が合いません。



アーサーは、その居場所を無意識に求めていたんだろうと思います。



序盤の、優しく見える彼の中には、既にジョーカーの存在がいました。



心の中のジョーカーは「何かきっかけがあれば、いつでも出てきてやるぞ」と思っていたのでしょう。



そのなか、電車の中にて若い証券マン3人を銃殺したところから、


ジョーカーの存在は、日に日に大きくなっていったのだと思います。

自己愛の終わりと始まり

アーサーは常にこう思っていました。



「皆はこの笑いのセンスのあるおれ自身を称賛すべきだ」

「笑いをとっていない自分は、自分じゃない」



この2つの意識の強さから頭の中で妄想をし、そのうち現実と妄想の区別がつかなくなっていきます。


彼の例は極端といえば極端ですが「自分という存在を特別だと思ったり、人からどう見られているかを気にする」ことは、比較的感じる人は多いのではないかなと思います。



自分のことと考えると、この話はとてもリアルに、怖く感じます。



自分が今生きていること、考えていることが「妄想でない」という確証はないですからね・・!


一見ファンタジーのようで、この作品はとても身近な部分を描いていると感じます。

アーサーの成長

クライマックスでジョーカーは、マレーに対して


「社会は善悪を主観で決めている、だから自分も主観で決めればいい、笑えるか、笑えないか」

と言っています。



彼にとっての軸は、「笑えるか笑えないか」であるということ。



そして、私たちにもこの言葉は突き刺さります。


自分自身の善悪の軸を持っているのか、分かりやすく言えば、自分自身のことを本当に理解できているのか。



そのあと、ジョーカーはマレーの頭を拳銃で打ち抜きます。



このシーンは人を殺すシーンながら、見ていてどこか痛快な気持ちになりました。


この行動は「弱者の反撃」の象徴であり、明確な意思表示を示してこなかったアーサー改めジョーカーが、


初めて大胆な意思表示をした場面でもあります。



このジョーカーに対して「ようやったな!」と思った人は、私だけではないはず!(笑)



あとは個人的には銃撃のシーンながら、急に頭を撃ったり


変にこちらを「ビクッ」とさせるシーンでなかったのも好評価です(笑)

ジョーカーの魅力とは

悪役のジョーカーがここまで魅力的で、かつキャラクターとして人気があるのは行動のすべてに「筋を通す、軸がある」ところがあるからだと思います。



自分にとっての善である人は殺さない、この人は自分にとって悪だから殺す、というのが明確です。



行動は予測不能ですが、それぞれに必ず芯が通っている部分があります。


前章でも書いたように「笑えるか笑えないか」は、一つの彼の軸だと感じます。

ラストシーンの意味

ラストの病院のシーンが示すものは、今までの話は「ジョーカーの話(本当か嘘かは不明)」だったというものです。



話の中では時計が全て同じ時間を指していたりすることから、


物語の中という伏線はありましたが、本当のところは誰も分かりません。


ネットを見ると、実に色々な考察がありますね(笑)


ただ、このところはそれぞれが考えることが結論で、いいのではないでしょうか。


観た人が感じたこと、それが全てだと思いますし、いわゆる「全員正解」なのだと思います。


製作者側も、真相について公言はしていないようですしね(/・ω・)/


個人的にはやはり、ジョーカーの言葉や意志を心を掴まれたので、その点を楽しめて、とても満足です(笑)

最後に

このジョーカーの物語は、いってみれば「私たちのストーリー」でもあると思います。


私たちが心のどこかに秘めている思いが、そのまま映画化されたような、そんな作品だと思います。



心のどこかに潜んでいる「ジョーカー的な意志、存在」(人殺しになるという意味では無く、ネガティブの象徴として)


その恐怖と私たちは遅かれ早かれ、対峙し戦わなければなりません。


私たちのストーリーのひとつとして。


終わり

画像出典元: https://eiga.com/movie/90681/photo/

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