「知らない」ことは罪なのか

こんばんは、Novtakaです。

今日は「知らない」ことは罪なのかについて書きたいと思います!

「知らない」ことについて

何かの知識が不足していたときに、人は相手に対して「こんなことも知らないのか」と思ってしまうときがあるかと思います。


よくある状況としては年下の人に向けて、そう思う(上司が部下に対して思うような)ような形が多いと思います。


「なんとなく、これって今までやってきて(生きてきて)知るときってなかった?」



こういう風に、その時教える側の人は思ったでしょう。


ですが、「知らない」ことは「知れない」のです。


なんか無限ループに入りそうな言葉ですが(笑)


これはふざけているわけではなく、大真面目に書いています。

私たちはどうしていくべきか

そんなときの、私が思う答えとしては「理性の言葉で、相手分からなかった内容を説明し伝える」

これが理想なのかなと思います。


もちろん、その場の状況的にそんな時間が無いときの方が多いかもしれませんが、

この理想の部分を目指していくことこそ、より良く人生を充実して生きていくために必要なことだと考えています。


そして、ここで大切なことは「まず自分から始めよう」という姿勢です。


誰かの行動を期待するのではなく、「自分が動く」という気持ちです。


私たちの第一の姿勢は「まず、自分から始める」ということに尽きると思います。

無知の知

「無知の知」というギリシャの哲学者、ソクラテスの言葉があります。


一言で言えば『「知らない」ことを自覚する』という意味です。


大人になれば特に、ある程度全てを知った気になるのが人間ですが、

世界には私たちの知らないこと(そして、知っておいた方がいいこと)が山ほどあります。


「知識」だけではなく「経験」も体験をすることで、私たちは「知る(得る)」ことが出来ます。


幸せに生き、人生を豊かにする指針として「無知の知」という考え方は、なにより大切なものと考えます。



その姿勢を持ち続けることを考えると、他人の「知らない」に対しても、考えが変わっていくのではないでしょうか。


私たちは「相手に言葉で伝える」と同時に、自分が「知らない」ことを自覚し生きていくことで、より良く生きれるのだと思います。

「知らない」ことは罪なのか

それは「罪」(具体的には「危険」であったり、人間関係に響いたり)になるときもあります。


ただそれは、その人のみの話でしょうか。


伝えられる範囲はあれど、私たちは同じ人間として、交流を持った人たちには先ほどの「まず、自分から」の姿勢を持ち続けることで、

自分自身の幸せにも繋がっていくと思います。


強くその輪を広めていくことが、私達ひとりひとりにとって大切なことであり、心豊かに生きていく方法だと思います!

まとめ

「なんでこんなことも知らんのじゃー!( ゚Д゚)」とは言いたくないものです(/・ω・)/(笑)

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