「人と比べる」ことに意味は無い。

こんばんは、Novtakaです。

今日は「人と比べる」ことに意味は無い、ことについて書きたいと思います!

自分自身と誰かを比較すること

自分と、他人を比べて「自分に無い部分を持っている」や逆に「自分はここが勝っている」と比較することってありませんか?


そしてどちらかといえば、「自分の方が劣っている」の方にフォーカスしがちな人の方が多いと思います。


私自身も日々、そう感じる時が山ほどあります。


ですが、その「他人との比較」の先にあるものはなんでしょうか。


いつも「ここが勝っている、ここが負けている」という風に考えるようになると、そのうち「他人=敵」と考えるようになっていきます。

比較対象であり、常に優劣を考える存在、そして「他人の幸せ」に対しては、素直に祝福が出来なくなり「他人の不幸」に対しては、心のどこかであざわらう気持ちや、ざまあみろという感情が出てくるでしょう。


私たちが考える「幸せ」は、この考え方の先にあるのでしょうか?

生きることは、他人との競争ではない

他人との比較とは 階段を他人を蹴落としながら昇っていくようなものです。

そうではなく、平な地上の上に、前を進んでいる人もいれば、その後ろから進んでくる人もいるようなイメージを想像してください。


進んできた距離や、進むスピードは違うけれど、みんな等しく、同じ大地を歩き、前へ進んでいる。

成長する、変わっていくことは、自分の足で前に踏み出す行為であり、他人との競争ではないのです。

では、何と比べるのか

「自分のここが劣っている」という劣等感は、誰しも感じるものです。

ですが時としてそれも、行動への原動力になることもあります。


それは「他人との比較」の中ではなく、「理想の自分」との比較で生まれるものこそ「健全な劣等感」と呼べます。


そして、他人は敵ではなく、「同じではないけれど、対等」の存在であり「人々はあなた(私)の仲間」です。

勝者も敗者もいない

私たちは、等しく前に進もうとする「仲間」であり、「理想の自分」と比較し、行動しています。

そこに「誰が勝った」「だれが負けた」という争いは存在してないにもかかわらず、自分の中で、勝手に敵を作り出し、もやもや、イライラしている、それが私達人間です。


そんな「勝ち負けのバトルステージ」からは、さっさと降りてしまいましょう。


そこには、それまでとは、180度見え方が違う世界が広がっているはずです。


私たちは、意識の違いで、すぐにファンタジー映画のように「異世界」に行くことができます(笑)

私も、この意識は常に持って、行動したいと思っています!

終わり

出典元(参考文献):ダイヤモンド社「嫌われる勇気」 著・岸見一郎、古賀史健

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